ジャズ初めの一歩
「ジャズを聴いてみたいけれど、何から始めればいいか分からない」といった人たちに、ジャズの特徴や代表的アーティスト、名曲・名盤などの情報を提供するブログです。ご一緒にジャズを楽しみませんか?
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ジャズの歴史(4) −ウェストコースト・イーストコースト−
第二次世界大戦の終結から5年が経過した1950年頃から、アメリカでは映画産業が急速に発展していきます。

その中心となったのは、今や映画の代名詞ともなっているハリウッドに代表されるウェスト・コースト(西海岸)。

映画に音楽は欠かせないということで、ウェストコーストでは映画音楽に対する需要が高まり、ジャズ・ミュージシャンも数多く映画音楽に参加するようになります。

このようなミュージシャンはおもに白人で、彼らはクール・ジャズの流れを汲む洗練された演奏、明快なリズムを特徴とする聴きやすいスタイルのジャズを発展させました。

これがウェスト・コースト・ジャズで、代表的なアーティストにはスタン・ゲッツ(Stan Getz)やアート・ペッパー(Art Pepper)などがいます。

ウェスト・コースト・ジャズは、スウィングと同様、ジャズを一般民衆の間に広める役割は果たしましたが、ジャズの魅力の一部である創造性・アドリブ・パッション(熱情)といった要素に欠けていたことなどが影響して、急速に衰退していきました。

これは、映画音楽として発展したという経緯から、避けられない運命であったといえるかもしれません。

しかし、映画に伴って生み出された数多くのスタンダードナンバーは、その後のジャズ・シーンを豊かにする重要な遺産です。

ウェストコーストでジャズが華やかなスポットライトを浴びている頃、アメリカ大陸の対岸イーストコーストでは、不況の煽りを受けてジャズシーンは低迷に喘いでいました。

そのような中、白人によるウェストコースト・ジャズに対して、黒人による本来のジャズを取り戻そうという動きが湧き上がり、ブルース・ゴスペルといった要素を取り入れ、黒人としてのバイタリティーや感情、即興性などを重視したハード・バップ(Hard bop)、別名ファンキー・ジャズ(Funky Jazz)と呼ばれるムーブメントが起こります。

その名称からも想像されるように、ハード・バップは一世代前のビバップの子孫にあたりますが、例えばビバップの奔放なアドリブに対して、ハードバップでは曲全体の統一感・完成度を損なわないよう、緻密な計算に基づいて行われるといった特徴があります。

さて、このハード・バップの口火となったのは、マイルス・デイビス(Miles Davis)の『ディグ(Dig)』というアルバム。

先にご紹介したように、マイルスはこの2年前に『クールの誕生』でクール・ジャズを完成させ、ウェストコースト・ジャズの土壌を整えたわけですが、そのすぐ後でイーストコースト・ジャズ誕生にも重要な役割を果たしたのです。

『ディグ』から3年後の1954年、同アルバムにドラマーとして参加していたアート・ブレイキー(Art Blakey)のリーダー作『バードランドの夜(A Night At Birdland)』がリリースされ、これがハード・バップの性格を決定したといわれています。

ウェストコースト・ジャズが短命に終わったのに対して、イーストコースト・ジャズの流れは絶えることなく、モード・ジャズなどへと続くジャズシーンのメインストリームとなりました。

では、ご紹介したアーティストの演奏を一曲ずつ、収録されたCDとともにご紹介して今回はお別れすることにしましょう。

アート・ペッパー 「イマジネーション(Imagination)」
アート・ペッパー『アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション』CDの画像『アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション
(Art Pepper Meets The Rhythm Section) 』



マイルス・デイビス 「ディグ(Dig)」
マイルス・デイビス『ディグ』CDの画像『ディグ(Dig)』

アート・ブレイキー 「ウィー・ドット(Wee-Dot)」
アート・ブレイキー『バードランドの夜Vol.1』CDの画像『バードランドの夜Vol.1(A Night at Birdland, Vol.1)』
ジャズの歴史(3) −ビ・バップとクール−
1930年代後半のニューヨークに咲いた大輪の花「スウィング」。

すべての命に限りがあるように、スウィング・ジャズもやがてマンネリズムという病に侵され、衰退していきます。

それにかわってジャズの土壌に育ってきたのが、ビ・バップというムーブメント。

1940年、マンネリ化したスウィング・ジャズに飽き足らなくなったミュージシャンたちがニューヨークのハーレムにある"ミントンズ・プレイハウス"というクラブに集まり、毎夜、閉店後にジャム・セッションを行うようになります。

このセッションはすぐにジャズ・ミュージシャンたちの間で評判となり、セロニアス・モンク(p)、ケニー・クラーク(ds)、ディジー・ガレスピー(tp)、チャーリー・パーカー(as)などが活気に満ちた演奏を繰り広げました。

この自由な雰囲気の演奏は、2拍目と4拍目を強拍とするオフビートと呼ばれる新しいリズムを生み出し、やがて自由なアドリブ(即興演奏)と超絶技巧を特徴とする陽気で奔放なジャズ、「ビ・バップ」として結実したのです。

しかし、歴史は繰り返すもの。

ビ・バップの熱気も永遠に続くものではなく、次第に下火になっていくことになります。

さて、ビ・バップの体現者、「バード」ことチャーリー・パーカーにアドリブの教えを受けたミュージシャンの中に、一人のトランペッターがいました。

マイルス・デイビス、後に帝王と呼ばれ、ジャズシーンを越えて多大な影響をアート界に及ぼすようになる天才です。

彼はアドリブ演奏の魅力・意義を意識しながらも、そこに限界を感じるようになり、それを解決する方策として、編曲を重視した緻密な楽器編成によるサウンド、演奏テクニックや感情を抑えた理知的な印象のジャズを完成させます。

これがクール・ジャズで、'48年のマイルスの実験的レコーディング『クールの誕生』はその金字塔といえる重要な作品です。

なお、マイルス・デイビスをクール・ジャズの完成者といって間違いはないと思いますが、決して彼一人で作り上げたものではなく、白人ジャズ・プレイヤーのスタン・ケントン(Stan Kenton)、ウディ・ハーマン(Woody Herman)などがその源流となっています。

ビ・バップとクール・ジャズは、どちらもジャズの革新という点では大きな役割を演じましたが、それ自体としては短命に終わった感が否めません。

しかし、この二つのスタイルは、やがて訪れることになるモダン・ジャズという大伽藍の基礎・土台となった点で、ジャズの歴史における重大事件だったのです。

では、いつものようにジャズの名曲を3曲ご紹介しましょう。

ビ・バップの熱さとクール・ジャズの冴えを聞き比べてみてください。

ディジー・ガレスピー&チャーリー・パーカー(Dizzy Gillespie & Charlie Parker) 「ビバップ(Bebop)」
セロニアス・モンク(Thelonious Monk) 「セロニアス(Thelonious)」
マイルス・デイビス(Miles Davis) 「ムーン・ドリームス(Moon Dreams)」

ではまた。


※上の各曲はそれぞれ次のCDに収録されています。

ディジー・ガレスピー『タウン・ホール』CDの画像ディジー・ガレスピー
『タウン・ホール(Town Hall, New York City, June 22, 1945)』


セロニアス・モンク『ジーニアス・オブ・モダン・ミュージックVol.1』CDの画像セロニアス・モンク
『ジーニアス・オブ・モダン・ミュージックVol.1(Genius of Modern Music, Vol.1)』


マイルス・デイビス『クールの誕生』CDの画像マイルス・デイビス 『クールの誕生(Birth of The Cool)』
ジャズの歴史(2) −ニューオリンズからシカゴ・ニューヨークへ−
ニューオリンズで誕生し、そこで成長したジャズに大きな影響を与える出来事が1917年に起こります。

第一次世界大戦へのアメリカの参戦です。

重要な貿易港であるとともに一大歓楽街という側面をもっていたニューオリンズには、ジャズに対する高い需要がありましたが、この出来事を契機としてニューオリンズは軍港へと姿を変え、それに伴ってジャズ・ミュージシャンたちは新しい活躍の場を探す必要に迫られたのです。

そんな中、彼らが目をつけたのがそれまでにも演奏で度々訪れたことのあったシカゴ。

1920年代のシカゴは、アル・カポネの部下のギャングたちの抗争が絶えない"roaring twenties(喧騒の20年代)"と呼ばれ、この状況と禁酒法に伴って発生した秘密酒場(スピークイージー:Speakeasy)がジャズ・ミュージシャンたちに格好の舞台を提供したのです。

この舞台に先にもご紹介したルイ・アームストロングが登場したことで、ジャズのメッカとしてのシカゴの地位は決定的となりました。

その後、移ってきた黒人ミュージシャンの影響を受けた白人主体のジャズがシカゴに興り、「シカゴ・ジャズ」と呼ばれて次第に人気を博していきますが、このよき時代もそう長くは続きませんでした。

1929年の大恐慌の発生により、シカゴの多くのクラブは閉鎖され、ジャズメンたちはまたも足場を失うことになるのです。

さて、シカゴでジャズが育つと同時に、東部の大都市ニューヨークでも、やはりニューオリンズから流入したミュージシャンたちにより、ジャズの下地が少しずつ作られていました。

やがて1930年代中頃、そこにシカゴからのジャズが流入して大輪の花が咲くことになります。

ご存知、スウィング・ジャズです。

1935年、長い不況の時代を克服したアメリカ社会は、ベニー・グッドマン率いるバンドの演奏を熱狂的に迎え、グッドマンやアーティー・ショウ、トミー・ドーシー、グレン・ミラーら白人ミュージシャンと、デューク・エリントン、カウント・ベイシーなどの黒人バンドにより、絢爛たる一大絵巻が繰り広げられ、それまでマイナーだったジャズは一気にアメリカの国民的音楽となったのです。

ジャズ最初の黄金時代の到来といってもよいでしょう。

では、実際に曲を聴いて、古き良き時代の雰囲気をお楽しみください。

マグシー・スパニア(Muggsy Spanier)の「ブルフロッグ・ブルース(Bullfrog Blues)」

ベニー・グッドマン(Benny Goodman)の「グッドナイト・マイ・ラブ(Goodnight My Love)」

アーティ・ショウ(Artie Shaw)の「ラバー・カム・バック・トゥ・ミー(Lover, Come Back to Me)」

の3曲をどうぞ。

なお、ビッグバンドについては過去の記事「ビッグ・バンド −スィングの華−」でもご紹介していますので、よろしければご参照ください。

ではまた。


※今回ご紹介した各曲はそれぞれ次のCDに収録されています。

マグシー・スパニア『マグショット』CDの画像マグシー・スパニア 『マグショット(Muggshot)』

ベニー・グッドマン『シング・シング・シング』CDの画像ベニー・グッドマン 『シング・シング・シング(Sing, Sing, Sing)』

アーティ・ショウ『22 オリジナル・ビッグバンド・ヒッツ』CDの画像アーティ・ショウ 『22 オリジナル・ビッグバンド・ヒッツ(22 Original Big Band Hits)』